もしも自分に彼女がいたとすれば生じるメリット・デメリット・問題点など(Ⅰ)

 さて、もしも自分に彼女がいたとすれば、恋愛における女子(おなご)の心理、いや、「気持ち」をどれだけ理解できるだろうか。

 

 例えば、それが小さく微笑む内気な子だったら、全然わからないけど、とにかく笑わせたいと思ってしまうのかもしれない。それは「笑わせて」その結果自分のことを好きにさせたい(、そして子孫を残したい)という欲求が働くからであろう。

 例えば、それが自分の夢を応援してくれる世話好きな優しい子だったら、もっともっと頑張ろう、そう思えてしまうのかもしれない。そしてそれは、彼女の期待に応えてもっと好きになってもらって「やっぱりあなたは凄いわ!」って褒められて自分が「デキル奴」であること(、従って、子孫を残すに相応しい人物であること)を自分で確認することができるからかもしれない。

 これらの例に依れば、関心があるのは女子の気持ちではなく自己の自尊心であるから、女子の気持ちというのは殆ど理解できない(というよりはそもそもそうしようとしない)とみることもできる。

(もっとも、女子も女子でそうした自分の気持ちに対する優先順位の低い男性陣の思考回路を常に理解できるわけでもない。)

 

 ただ、それでも一応は引き合うようにできている。

 今日もNHKで観たが、カエルやクモやフグのオスもメスを呼び寄せるために踊ったり巣を建設したりとかなりの労力を使っている。つまり、それほどまでに、オスにとってメスに気に入ってもらうこと(そして子孫を残すこと)は生物として重要なのだといえるだろう。そしてこれは、逆に言えば、それ以外のこと、例えば子孫を残す可能性がない個体に対する取扱いや直に自己に利益となる訳ではない行動をとること等を疎かにしがちであることも同時に意味するといえるだろう。

 老婆を助けること、環境問題に取り組むこと、これらが称賛される場合があるのは、なぜだろうか。色々理由はあるとは思うが、前段落の内容をふまえてもらうと、それらは、生存本能から脱した範囲の思考に基づき行われる事柄であるからだとみることができるだろう。すなわち、これらはいずれもーこれらの事柄が善いとされると思う相手に対して、これを知りつつ、相手に気に入ってもらえるように右事柄を行う場合を除いてー行為者が子孫を残すことのみならず、人類全体が生存することを目的として行われているとみることができる行為である。(あるいは、「かわいそう」という憐憫からかもしれないが、それでも行為者が子孫を残すことに直結する行為であるとはいえないのだから、生存本能から脱した人間的な行為として評価されうるだろう。)そのため、こうした行為は、恋愛に関する行為とは別意に論じられるべきであろう。

 ここで、おそらく、恋愛関係という人間関係は、通常の社会的関係における人間関係とは異なる特殊の状態と位置付けることができる。なぜなら、先にも述べた通り、恋愛関係の構築・維持にあたっては当事者間では子孫を残すという生物学的な欲求が働くからである。

 

 前置きだけで長くなってしまった。

 今日は遅いのでもう寝るとするか。(「おやすみ!大好き!」って言ってくれる彼女欲しい)(若きウェルテルの悩みを更に複雑化させた小説が書けそうだ)

 

 皆さんもお疲れ様です。